―龍馬・お龍を癒した霧島の温泉と大自然―
塩浸温泉龍馬公園
鹿児島県霧島市牧園町宿窪田3606
日本最初の新婚旅行 アクセス

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塩浸しの湯
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薩摩龍馬会




 坂本龍馬は、1866年(慶応2年)、寺田屋事件で受けた刀傷を癒すため、妻お龍とともに薩摩を訪れ、塩浸温泉で湯治をしながら、霧島を満喫し、人生最高の日々を過ごしました。
 この旅が「日本最初の新婚旅行」と言われています。

 塩浸温泉龍馬公園の資料館「この世の外」では、龍馬の霧島での足取りや、姉乙女に宛てた手紙など、塩浸温泉(霧島)での資料があります。
 また、龍馬は手紙の中に「志をひ多し」と書いています。是非探してみて下さい。

鹿児島の足取り ※旧暦(内は新暦)
1月21日 (3月7日) 薩長同盟成立。
会談は龍馬到着が遅く、龍馬不在で行われた。

1月23日 (3月9日) 24日未明、午前2時頃、京都府伏見寺寺田屋で三吉慎蔵と共に幕士に襲われ手傷を負うものの、ピストルで応戦し危機を脱す。

2月 5日 (3月21日) 薩長連合の確認を求める桂のい書簡に裏書きす。

2月12日 (3月28日) 中岡慎太郎入京。龍馬32歳。
この頃、中岡の仲人でお龍との結婚を正式に披露。
この頃、西郷・小松の霧島に傷によく効くという評判の塩浸温泉湯治を勧められる。

2月29日 (4月14日) 龍馬はお龍を連れ、鹿児島に向け京都を出立。

3月 1日 (4月15日) 大阪間の薩摩蔵屋敷に着く。船支度を待つ。
船出
3月 4日 (4月18日) 薩船「三邦丸」に乗船。小松・西郷・桂久武・吉井友実などと鹿児島に向かう。中岡慎太郎・三吉慎三も同道。
縁結びのこの旅が日本人の新婚旅行第1号となる。
二大雄藩の薩長連合が成り、お龍を得、この先は薩摩を目指して遊覧の旅。時まさに、爛漫の春である。

3月 6日 (4月20日) 下関で中岡・三吉下船。下関に泊まる。
3月 9日 (4月23日) 長崎に寄る。
鹿児島
3月10日 (4月24日) 鹿児島着。西郷・小松・吉井邸に泊まる。

霧島へ
3月16日 (4月30日) 吉井友実が誘い、龍馬夫妻塩浸温泉へ。
小松帯刀夫妻は3月14日より4月8日まで25日間、霧島栄之尾温泉へ湯治に出発。
穏やかな錦江湾に雄大に浮かぶ桜島を眺めながら船で浜の市港(隼人町)へ。日当山温泉へ泊まる。
塩浸温泉(霧島)
3月17日 (5月1日) この日より塩浸温泉で11泊し、手傷の治療をす。
この間、月日は特定できないが、和気清麻呂公史蹟にも立ち寄る。史蹟といっても斎彬公お手植えの松があっただけ。しかし、犬飼滝と渓谷を見下ろし、右手に桜島、左手に高千穂峰を望めるこの場所は絶景であった。
蔭見滝(犬飼滝)や塩浸温泉は「この世の外かと思われ候ほどめずらしき所なり。谷川の流れにて魚を釣り、単筒で鳥を撃つ。誠におもしろかりし。」(姉、乙女に宛てた手紙より)と、記されている。

3月28日 (5月12日) 龍馬夫妻、吉井友実の案内で、栄之尾温泉の小松帯刀の見舞いに行く。
花が咲き、鳥が鳴き、水ぬるむ春の霧島。和気公やこの地を13年前に訪れ没後8年経った島津斎彬公の実績を偲びつつ、のんびりと岳の温泉をめざした。硫黄谷温泉泊。

3月29日 (5月13日) 龍馬夫妻念願の高千穂登山。途中高千穂峰を矢立でスケッチをする。馬の背越えでは危なくてお龍の手を引く。
天の逆矛に笑い、おびただしい霧島つつじに感動。
霧島神宮を参拝し御神木の樹齢千年近い大杉を見る。
華林寺泊

3月30日 (5月14日) 再び硫黄谷温泉泊。
吉井友実が待っており、同行して4月1日に塩浸温泉へ帰り7泊する。

塩浸の谷や霧島は、岩つつじが満開の頃であり、近くの妙見の温泉、和気湯など温泉めぐりもしたであろうし、二人は遠い京の事など忘れ、一生で一番楽しく幸せな日々であったろう。

鹿児島へ、そして帰路
4月8日 (5月22日) 日当山温泉に帰り3泊する。

4月11日 (5月25日) 浜の市(隼人町)で帰り船待ちで1泊するも、宿は不明。

4月12日 (5月26日) 浜の市(隼人町)より乗船。鹿児島に帰る。
小松帯刀 原良別邸へ約50日間滞在するも毎日どこで何をしていたかは、記録がないために不明。
4月14日 (5月28日) 開成所(洋学校)に行く。5月1日桜島丸が来る。

5月19日 (6月15日) 寺内氏よし金を借用し、短刀合口をこしらえる。

6月4日 (7月15日) 龍馬夫妻は桜島丸にて天保山(鹿児島市)より出港、帰路につく。

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